我が人生は根性論?
- A K
- 2021年6月30日
- 読了時間: 7分
更新日:10月8日
ここで折り返しを過ぎたであろう私の半生を振り返ってみたいと思います。
生きてると「体育会系だからさー」と言う台詞と共に、"俺は厳しい社会を生き抜いてきたんだぜ"とやたら上下関係を押し売りしてくる”体育会系おじさん”に出くわすことが一度はあると思います。そんな時には、「そんな体育競技でつちかったくらいの事をドヤ顔で話されて、少し長く生きただけの歳の差で上下関係を強要されても。俺は自衛隊出身だから自衛隊系しか知らないし。こっちは殺すか殺されるかの訓練をやってきたわけでいちいちうるせーな」って20代は心の中で思っていました笑。
どんな厳しさかというと、教育という名の理不尽の連続です。コラァァァァッ、匍匐前進で何で水たまり避けとんじゃワレ!水たまりは何で水たまりになっているかわからんのかぁキサマはぁぁ?地面より低いからじゃボケェ‼ 弾、避けるためには低い方がええやろ?泥水だろうが顔つけんかいカスがぁ。死にたいんかぁキサマは‼ って怒鳴り散らかされ、水たまりに顔突っ込まれて、そのまま革靴で顔を踏みつけられる。おっしゃる通りなんですけど教官!顔踏みオプションは必要ですかね?戦場でおきなくないです?とは言えませんでしたね。
ヌクヌクと高校生やってきた私に入隊1ヶ月後のそんな教育の連続はなかなかの刺激的な経験でした。。。体育会系?それ撫でられてんすか?って思うくらい、自衛隊系はパワハラ?コンプライアンス違反?ないないないない、そんな基準なんて最初から1mmもない。我々新兵は人権を勝ち取る事からスタートか、、、と心を叩き潰されましたわ。まー戦争なんては元々国家同心のパワハラだし、人殺しにルールなんかある様でないわけで、死んだら終わり以上です、正しい。生きていて多少きついことがあっても、あれよかマシ。と何度も思ったので意外とメンタル強化には役に立ちました。メンタルの強化に自衛隊、おススメです笑。

誕生期
私は生まれ持って筋力が非常に弱かったとのことです。赤ちゃんの時にハイハイをしていても自分の力では首を持ち上げることができず、健常者ではいれない状態だったらしいです。親が泣きながら遠くの施設まで首の筋肉を鍛えるリハビリに連れて行き、長い期間を経てようやく首が座り落ち着いたらしいです。
と思ったのも束の間、右目が弱視でこのままいくと失明すると発覚。自分では生まれた時からほぼ見えてないから、みんなこんなぐらいしか見えていないんだなと思っていて、視力検査があるまで気付きませんでした。特殊な症例でラグビーボールのように変形した目は特殊すぎて手に負えないと大学病院へ紹介されて、診察時には教授の周りに医学生が取り囲み、私はまるで実験生物の様な日々でした。人生のスタートからトラブル続き。。。困ったね。

少年期
それからも基本的な筋力や能力が低いんでしょうね、それを自覚するまで時間がかかりました。一生懸命やっているのに、手は抜いてないつもりなのに周りの友達よりなんでかできない事が多かった気がします。運動神経はないし、楽器の授業は最後までできず残される。。何でできないの?と叱られて、感覚が必要な授業は苦痛でしかなかった記憶があります。
そんな私ですが、長距離走だけは代表選手で大会に出たりもしていました。それは何故かというと、息が苦しくてスピードを緩める人が多い中、私は苦しいけどスピードはそのまま。身体が狂ってただけでなく、生命を維持する為に緩める感覚も狂ってたんでしょうね。。。トップクラスに走りが早いわけではなかったですが、しつこかった笑。ゴール時には大丈夫か?ってくらいの異常に果てた体勢で倒れこんでいた記憶があります。自分の限界がわからないだけだったと思います。
そして、高校を卒業してたまたまタイミングがあったので、自衛隊へ入隊。世代でわかる人はいると思いますが、「魁!!男塾」という漫画を少しマイルドにした世界でした。
小銃を抱え山の中を重装備で何時間も歩く訓練があり、まだ若く体力あった方の私は限られた水筒の水をなるべく温存して歩いてました。あと、少しいったら飲もう!と思った時に「貴様らは今、敵に襲われた。と、いう想定だ。今すぐ水筒の水を全て捨てろ!はよせんかい、戦場はいつでも水を飲めるとは限らんのじゃボケェ」って言われ、水を捨てながら放心した事もありました。既に喉カラカラ、フラッフラな状態で温存してきた水を自分で捨てるのです笑。訓練の最後には救急車の音が聞こえてたな。。。はい、何人か倒れて居なくなってました。。。今では考えられない。ウソだろ?って事がいくつもありましたが書ききれませんね。
今でこそコンプライアンスという言葉がありますが、当時のあの場所には当然ありません。"人権を獲得するまでには時間がかかる"自衛隊ではメンタルが鍛えられましたね。"理不尽"と書いて"正義"と呼ぶような教官しかいなかった気がします。。。戦場で整った状態である方が珍しい、いかなる場合もベストを尽くせ!との意味合いがあったと思います。叩き込まれた粘り強さと鋼のメンタルは後の人生にすごく役に立つ一番のスキルになっていると思います。

青年期
東京に来てから働いたアパレル会社は10時から20時まで働いて、深夜まで社長と会食に付き合う生活。日給5,000円。今だったらあれ?当時の東京都の最低賃金の時給を切ってますけど?って言えるけどそんな知識もない。「お前、今日は日給分の5,000円の利益出したか?何したか自分の口で言ってみろ」って毎日言われてた気がします。ノイローゼになりそうな毎日でしたね。耐える20代だったので、自分には"才能"がないから。。。って言う奴は嫌いでしたね。
すごいねー生きてる意味を自分で否定したね。
自分の親のつらを見てみろよ、"才能" あふれる遺伝子か?
自分にもいつか" 才能" が開花するとでも思って生きてきたの?才能?そんなもん最初からねーよ、お前には。親のせいにして" 才能" のなさを今更ながら自覚してんじゃねぇ。
そんな考えの甘い現状の自分の”心”がカスである事を自覚しろ。
しかも、" 才能" が必要なレベルの仕事させてもらっていると思っているの?
うぬぼれてんな、ボクシング世界戦で1位がチャンピオンに勝てないと嘆くのは才能のせいかもしれない。" 才能" が必要なのはそのレベル。" 才能" が必要と思っているのなら、今の仕事を早く辞めた方がいいよ。お前は" 才能" なんて最初からないから。
お前に足りないのは" 才能" じゃなく努力だから!!
はい、友人に本当に放った言葉です。若い頃は尖ったナイフの様でした笑。余裕なさ過ぎて自分の折れない心を保つ為に言葉の刃を他人に向けていた気がします。ごめんなさい、反省してます。。。
中年期
大人になってようやく理解したことがあります。自分が生まれもった容姿や筋力は変えられないけど、ほとんどの人は100%のパフォーマンスを出さずに生きている事に気付きました。人は100%の能力の30%も出して生きてない。私は他人の50%の能力のかもしれないが全力で50%だせば、意外と勝てるもんだと確信しました。
だから、私はいつだって全力で取り組む姿勢でした。無理するからたまに乱れるけど、限界まで引き出しているから致し方ないと思うようになりました。ごめんなさいね、それ込みで付きあってください、生き方を変れないから嫌なら去ってくれ。とすら思っています笑
弱みを改善するより、強みを伸ばす、好きな事しかしないエナジーを活力にするストロングスタイルで生きています。
私は「人生に必要なものは全て、根性で何とかなる。」とは言いませんが、「しつこさ」が重要、いくらでも可能性を広げる事が出来ると気づけて良かったです。
ふと、思い出しました。今でこそ知りたい言葉はスマホですぐに見つかりますが、それにたどり着くまでにたまたま見たページの言葉を寄り道で見て勉強になっていたことを。人生もなかなか知りたい事にたどり着けず、迷って開いたらページの寄り道があるとは思いますが、今はそれも重要な気がします。
人生は寄り道だらけでいいじゃないか、その方が楽しいじゃないか ((((((~ ´ ∀ `)~
母の誕生日に感謝を込めて。




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