「人から注目されたい人」と「自分の価値感を追求する人」となら、圧倒的に前者が多く感じます。自分の価値感を追求する人はブランドを選ぶ基準は自身にありますが、服飾などのブランドビジネスは前者に向けたものが広まり易い傾向にありますよね。個人的には”ロゴマーク”は好きではないのですが、違った表現でいいので”アイコン”はブランドビジネスにとって必須と思います。
日本の服飾の世界はこれがない状態で広まらないっていうデザイナーの方が多くいると思いますが、当たり前と言えば当たり前と思います。国民性もありますが主張しない美意識を持つ人もいて、成熟してからは安易にわかりやすいモノ=下品と捉える人もいますし、気づいて欲しい人と絶妙なバランスを保っていると思います。
とはいえ、大多数の方は気付いて欲しいと思っているわけで、ブランド認知の為には必ず必要とは思いますが、ロゴマークを作りワッペン、大きなプリントなどの安直な表現が好きではないので私もいつもこれを考えるのに苦労します。
【スポーツカーに乗る人と見る人で思考が相違する説】
街中でファンファンふかす車高の低いスポーツカーは公道では明らかにオーバースペックで迷惑以外の何物でもないと個人的には思います。乗ってる本人は周囲の人間からはカッコイイと感じ注目を集めていると思っているますが、それを見る人は短い距離で加速するのは危ないし騒音やめてくださいと思っている事が多いと思います笑
他にもステータスを示す手段として、資産を手っ取り早く移動する手段として、宝飾時計も意味があるのは理解できます。が、時間を知ることの価値が変わった現代において、時を知る為に手にそんな重いものをつける必要ある?って思ってしまいます。
時計は誰にも迷惑はかけていないので良しとして、どちらも私には必要ないと思っています。しかし、所有者の満足度を高め、優越感に浸る大事なモノであることはブランドビジネスに関わる者としてその心理は非常に理解できます。
それ、〇〇だよね?(有名なブランドで素敵という意味で言う)
それ、〇〇だよね?(素敵とは思わないが知ってるからとりあえず言う)
どちらも、「それ、〇〇だよね?」だけなら、言われた本人は褒め言葉に感じますよね。「それ、〇〇だよね?知ってるけど、素敵とは思わないんだよね」と秒で知人に嫌われる発言は、正常な人間なら絶対言わないと思います。ブランドにとって分かり易い「アイコン」があり、知名度があることは良いことで、その状況が多ければ多いほど顧客の心を掴んでいき、顧客心理をついた上手い仕組みだなと思います。
【有名ブランドが高い土地にお店を構える理由】
誰もが有名なんだから一等地にお店を構えなくても、お客様は来るから安い土地に大きくお店を作ればいいじゃないと思ったことはあるはずです。いやいや、あれは商品を売るための場所でもあるけど、「買えない人を増やす場でもある」という記事を見ました。
確かにね、ドやりたい成金、いつかドやりたいまだ買えない人、を同時に広告できる方法があれなのか、、、と思いますね。
認知のしやすさの為のアイコン、希少価値はブランドビジネスにとって必ず必要なモノと思います。
【アートとデザインの違い】
私はアートは興味がないです。デザインは興味があります。アートを否定するつもりも全くありませんが、”必要な最小限で生きる”という生き方が性に合ってい為、アートの必要性が未だ理解できていないからです。
それぞれの定義は検索によると以下の様です。
【アート】芸術。美術。
【デザイン】設計。図案。意匠。また、製品の機能や美的造形を考慮した意匠計画。
アートはそこまで興味がないので詳しくないですが、なんか子供の落書きみたいなモノに何億も価値があるとされているなんて、何が基準なんだ?まったく理解できないと思ってました笑。しかし、アートには歴史の文脈を理解したうえで、このタイミングにこの作品を出すから社会的に新しいと評価されるとの事を論じる人がいて腑に落ちました。
デザインという言葉は定義と実際の認識がずれていて厄介と感じます。実際の認識では何となく形が素敵とされるものが「デザイン」と捉えられていてデザインの定義が曖昧になりがちだと思います。服飾、インテリアの業界にはたくさんの”デザイナー”という肩書の方がいます。ですが、実際にデザインをできる方はかなり少数と思います。辛口に言うと形をトレースしただけの、なぜこうしたのか?のない自称デザイナーが多すぎると感じます。
特にアパレルやインテリアの業界は特に「デザイン」という言葉に広い解釈があるために定義が曖昧です。定義は「製品の機能や美的造形を考慮した意匠計画」ですが、一般的には製品の機能か美的造形が片方あるだけで人はデザインと呼んでいるのだとある時に気づきました。
私は本来はデザインとは「社会の課題」を解決しつつ「意匠性が高い」状態で企画する事と考えます。
特に日本のファッションの世界ではヨーロッパのメゾンブランド、ハイブランドが提案した企画をアレンジした企画を発表することが一般的です。だから、トレースしただけでデザインとは言わないと思います。コンセプトが曖昧もしくは存在しておらず、社会の課題を解決していないモノは、”ただの布”であって「デザイン」されたモノではないと思います。
【ANT CHAIR / Fritz Hansen】
1952年にアルネ・ヤコブセンがデザインしたアントチェアは、「3本脚+人の2本脚で安定感のある機能を満たす」という独特のコンセプトをもとにデザインされているそうです。座面と背板が一体化した世界で初めての3次元成形合板で作られ、4本脚には見られない成型合板のシートと脚の美しいバランスが魅力の椅子です。デザイナーの死後、日本の家具の安全基準に合わせる為や安定感を出すために4本脚も作ったとか諸説あるデザインストーリーがあります。
私も何気なく4本脚を使っていたのですが、デザイナーのストーリーをインテリア業界のレジェンドT会長に教えて頂いた時に、何だか気持ち悪くなり友人に4本脚のアントチェアを2脚ともあげて、新しく3本脚を買いなおしました笑。
1)座面と背板が一体化しており、背板に適度なクッション性がある。
2)テーブルに4脚配置した時には3本脚だと足がぶつかり合わず、おさまりがいい。
3)スタッキングができて何脚かあっても場所を取らない。
これはフォルムの美しさもさることながらデザインされていると感じ非常に感動しました。アントチェア、そしてアルネ・ヤコブセンのセブンチェアがこんなに世に広まった理由も納得です。
【TURN / Ambientec アンビエンテック】
こちらは最近のお気に入りです。私的には「照明の概念を変えた」デザインされた製品と感じています。LEDでタッチ式で4段階の明るさを調節できて、充電式なので持ち運べ、防水でもあります。
ライティングはインテリア業界では昔からあるジャンルですが、コードがなく灯りが欲しい環境へ柔らかな光を持ち運べる点が新しいと感じました。
環境照明なので必ず必要なものではないとは思いますが、光は人間に大きな精神作用を起こすものでもあり、光を調節することで人間の心も調節できていると思います。
まさに直感的に理解しやすいデザインで非常に素晴らしいアイディアと感じました。
【消費者に届けるまでがデザイン】
インテリアもファッションも消費者に選んでもらい、分かり易く表現できていないものが多いと感じます。インテリアで言うとミッドセンチュリーに生み出された巨匠たちの家具を超えるモノはかなり少ないと思います。よく、デザイナーから物が売れないから売って欲しいと相談があります。そうですねー「売れたらデザイナーのおかげ。売れなかったら営業のせい。」とも言われますよと、私は笑って揶揄します。
単純です。そう、必要ないから売れないのです。必要とされる デザイン=「社会の課題」を「意匠性が高い」状態で企画されたストーリーがないから売れないのです。
その時代の課題があり、その時代に必要だったから生み出され、デザインされて世に出てきた製品であったと考えます。なので現代においては歴史的な家具に対向するデザインを生み出すという考えではなく、家具xテクノロジーという新しいジャンルを生み出す事が2000年代のインテリア業界のあり方だと思います。
私は現在アラフォーなので、社会に興味を持つ10歳くらいから約30年間のデザインに触れ、更に40年間さかのぼれば戦後のデザインの歴史を勉強できます。しかし、今の10歳の子供たちは70+これからの歴史約30年を学ぶ事でやっと同じ理解度になると考えます。今のデザインに関わる人達は”学んでから買え”的なマッチョな思考が強いと感じます。それを学んでやっと価値を見出せるというのはあまりにもハードルが高いと感じるので我々の説明不足、伝える努力不足。と私は思います。
【デザインとセールスの関係】
セールスがメインですが企画もする私にとって、デザインの完成度の高さがセールスの成功する8割の要素だと思っています。差別化しないと売れない。とかよく言われますが、本来はデザインを生み出すモノの責任はそれだけ重く、必要のないものを生み出すことは昨今の「サスティナブル」を考える面でも悪と言っても過言ではないです。そして、セールスはストーリーを語り、消費者に届けるまでの過程をデザインする「流通のデザイナー」でもあると思っています。
やはり理想は、アイコニックな要素がコンセプトとリンク、デザイン=「社会の課題」を解決しつつ「意匠性が高い」状態の企画、理想の流通のストーリーを作り出せた時なのですが、そのバランスが整った時は想像通りに売れてくれ嬉しく思います。
夏の終わりに課題を考えながら独立8年目突入の月に。
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