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新年と仙人が来た。

  • 執筆者の写真: A K
    A K
  • 2023年1月3日
  • 読了時間: 8分

更新日:10月8日

最近、「仙人」と呼んでいる友といることが多いです。物静かな奴ですが私に与える影響は大きく興味深い人です。政治、経済、文化、歴史、哲学、、、等なんでも答えてくれます。何を質問しても不得意なジャンルはないの?ってくらい半端ない知識量で話してくれます。

仙人が次の拠点を見つけるまで我が家に泊まりに来た時もありましたが、次の朝に起きてすぐに質問をしてそのことについて2時間語ってたりすることはざら。朝8時からトップスピードで視野の狭い持論を語る私に、真剣に返して話に付き合ってくれる「仙人」には感謝しかないです。くどい私の話に「うーん、今日はやめないか?」って一回も言わない忍耐強さはすごいと思います笑。全然ひるまない姿勢は受け皿がすごすぎると思いながら話してることが増えましたね笑。仙人の話は文献から得た知識ではなく、現地を実際に旅して見てきたものも交えながらなので、面白すぎて飽きません。

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「足るを知る」

仙人がアジアを旅した時に感じたという話を聞きました。発展途上の地域は都会ほど幸福度は低い感じたそうです。そして、物質は少ないが都会から離れるほど笑顔で楽しく暮らす民は増えた話は興味深かったです。そして、彼は田舎ほど「豊か」を感じたそうです。

それはなぜか?それは都会に出てきた人ほど、海外から来る人と接触する機会は多く、自分は”持たざる者”と認識したからだというのです。”比較して”はじめて自分は「豊か」ではないと気付くという事です。田舎から出てきた自分も昔はそうであったし、自分を見失う気持ちもすごくわかります。

が、本当に必要なことは”モノ”ではない。と、仙人が私に言い共感した言葉、それは「足るを知る」です。古代中国の思想家、老子の言葉で何となく聞いたことあるような。。。 「足るを知る者は富む」、つまり「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」ということを表しているそうです。

今だからこそ言えるのかもしれませんが、実はお金で買える欲しいものは、私はもはやあまりなくなってきたと感じています。私の欲しかったモノなどその程度の価値だったのでしょうか。満足してしまったのでしょうか、不思議な感覚です。やはり、モノを得るより、経験を得る方が「豊か」と感じる事が多くなってきました。

世の中には高価なモノはたくさんあります。でも、自分もお金から価値を引き出す能力は年々落ちていると感じます。70歳になったらサーフィンやスノーボードを一日中やる体力はないだろうし、たくさん美味しいモノを食べたいとも思わないだろうし、常に飛行機で飛び回り旅に行きたい。とは思わないでしょう。

身近なものを感じる感覚。そこにあるもので十分に「豊かさ」は感じられるはずという気づきがありました。自衛隊時の教育の影響もあってか戦後の日本はアメリカに緩く統治されていると感じます。日本社会を消費社会に作り変えた影響で感覚が馬鹿になっている気がします。それは私が旅を頻繁にしていた時期に海外と日本を比較して、人々の感覚に差を感じる部分でもありました。今、自分は多く消費しているがが、逆に「豊か」を感じにくくなっているのではないかと考える様になりました。

身近に誰にでも感じれる体験でいうと、今年は流行りの病にもかかり、病み上がりで3日ぶりにおかゆ半分と味噌汁食べた時にうっんめぇ~。って心の底から思いました笑。ご飯と味噌汁、生きてるって、し、あ、わ、せ。やはり人って、枯渇していて潤うとか、苦労した結果の成功とか、達成感で感じ方がこんなに違う生き物なんですね。病気によってそんな感覚が麻痺していた自分に気づきました。

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「自分の周りの5人を平均すると自分になる」

それほど「周りの人の影響は大きい」ということだそうです。逆に言えば、「周り人たちを誰にするのか」を自分で決めることで、なりたい自分に近づけることができるという事なのかもしれません。今、一緒にいることが多い自分の周りの5人の平均が今の自分らしい。というどこかで聞いたことのある言葉を信じて、自分を分析するとこうなります。


1)Tさん =器用貧乏、分析大好き、知識を話したがり

2)Mさん =私の地球の歩き方、新しいカルチャーの伝道師、働き方のトリックスター

3)Oさん =テイカーの極み、派手な消費人間、営業の天才

4)Iさん =仙人、人生観の辞書、新しい価値観の発見

5)Wさん =無償の愛、奉仕型ギバーの精神


Tさんはブレインストーミング習慣とリサーチ習慣を与えてくれて、私の人生を覚醒させてくれた恩人です。他者への言葉が強いが自覚があまりない。

Mさんは旅の楽しさと新たなカルチャーの発見をくれ、私を平凡な人生からトリッキーな人生へと導いた恩人です。気分屋で気まぐれ。

Oさんは圧倒的な営業力で、”君は営業だけでは生きてはいけないよ、甘い。”と身をもって教えてくれた人です。本人は今も昔も気質は変わらずやってるだけと思いますが、圧倒的な「危機感」を私に植え付けてくれた存在です。自分が中心でないと気が済まない。

Iさんは前述した仙人で急に彼の思考の一部が理解できるようになった。今は古い友人で「歩く辞書+思想の先生」です。疑問と課題を与えてくれる存在。

Wさんは曇りなきギバーの人間性であり、利他的な考えで物事を行い、そんな思考はあるのか?と興味の対象。自分の利益を考えない姿に不思議な感覚です。


うーん、良くも悪くもどの要素もあるな、、、5つ足して平均した姿が今の自分とはよく言ったものだと思ってしましましたね。

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【2023年。今、感じるコト】

私はスピチュアルな体質でもなく、無宗教。霊と呼ばれる存在はあるんだろうが、感じれないモノをいちいち気にしても仕方ないので、全く気にしないです。目に見えるモノ、手に感じるモノの全ては自分の脳で感じているとしたら、人間が感じれているモノはほんの一部なのかもしれないですよね。むしろ、そう考える方が自然で、人間の小さな脳で存在している全てのモノを感じれていると考える方が不自然な気がします。

色々な物質が身体を通り抜けているのかもしれないし、次元が1つ2つ多い場所で存在しているのかもしれないですよね。空間という概念が存在を感じる場所の一部なら、人間が感じる事が出来るのは五感までで、我々以外の物質は必ず存在はしていると思います。


無宗教なので神へのお祈りしないです。今の人生で精一杯で来世の心配している余裕はないのでね笑。死後の世界は死んでから考えます。現在未熟な人生を送る人が、死後の事、来世の事、皆様の事を考えて生きるなんて、ずいぶん危機管理能力の意識が高いですね、それを現世で活かせばいいのでは?と思ってしいます。。。

我々が「神」と呼んいる存在を定義するなら、考えているほど高尚な存在ではなく、ただ人間より性能が良い存在なだけで、人間が蟻を見ている様に活かすも殺すも「神」には大したことではなく、気まぐれで影響を及ぼしているんじゃないかな?って思います。人間なんてそんな「ちっぽけな存在」なんだから、細かく考えず、今を楽しく過ごす方が良くない?誰かと比較するから自分が優れたいと思うわけで、どうせ「ちっぽけな存在」なんだから、「優れるより、異なる」方がより「豊か」だと思うようになりました。

それでもまだ他人の背中を追いかけて競走します?それでもまだ周りの価値観と比べて存在価値を確認します?誰かが一度歩いた道を行くような、、、人生を置きに行って誰もが必ず訪れる死の瞬間に楽しかったと感じれるんでしょうか?平凡で予定調和な人生で最高に良かったですねー。って心の底から思えますかね?

死はいつ訪れるかは誰もわからない。だから、「常に死ぬ瞬間を意識して全力で生きる。」今、出来るコトをやり切り、今、感じれるコトを感じて、今、出来る限り楽しむ、、、そんな単純な行為を丁寧に行うことこそが大切と思います。それが常に最高に楽しい私の人生のマインドです。


「調子に乗れる時はのれるだけ調子に乗れ」

日本人が大好きな「謙虚」が美徳という同調圧力を感じる場面は多いと思いますが、私はそうは思いません。どうせ調子が良い時は長くは続かないんだから、全力でいけそして転んだらまた立ち上がればいいじゃないか、「調子に乗れる時は乗れるだけ調子に乗った方がいいんじゃない」とよく言います笑。ほとんどの人が、”失敗した時が恥ずかしいから”、”他人に馬鹿にされるのが怖いから”、”足を引っ張られるのが怖いから”と謙虚と静かにしている事を混同していると感じますし。

「成功」って自分が満足した状態が成功ですから、人を妬み批判している心があるうちはきりがなく絶対に「成功」を感じないと思います。そんなことより自分の人生の乱高下を楽しむ方がより「豊か」で楽しくないでしょうか。

そんな調子で調子に乗り生きている去年の私には「死ぬこと以外はかすり傷」って思ってたけど、あかーん、ほんまに死ぬわ。ってことがありました。神様と私の間ですこーしだけ、語弊があったみたいで。「人生は太く短く」でえぇやん。と思ってたら、神様はもっと詰めてきましたねー。60歳くらいで星になってもいいとは思ってましたが、「短く」の表現に神様とズレがあったみたいで。。。いやー、あかんなー。物事はきちんと数字にしないと誤解が生まれるなーと改めて思いましたね笑。

でも、不思議と不安はない。自分でどうにもならないことを不安に思っても仕方ない。という気持ちとやりたい事しかやってこなかった人生なので後悔はない、1mmも。死ぬときは死ぬよ、人は。早いか遅いかだけ。と言ったら乱暴かもしれませんが「無駄な日々をなるべくおくらず、燃え尽きる人生」が私には合ってる。死を身近に感じるからこそ、一生懸命、無駄にせず生きようとしていいじゃないか。とすら思うマインドです。


最近、触れた視点、幸せを感じたいのであれば、「足るを知る」。今の状態を丁寧に見つめなおし満足し、周囲への感謝の気持ちを形にすることを忘れないことが大切だということ。今年は「ギバーになってみる」これが一番「豊か」のヒントを感じる事が出来るのかなと感じた瞬間でした。

本厄の今年になぜか人生最高の「豊か」を感じているので摩訶不思議。もしや神はこっから一気に落とし私に厄を感じさせるのか?しかし今の私はそれも楽しむメンタルだ、かかってこいや‼と、思う新年の始まりに。

 
 
 

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