スポーツカーに乗る人と見る人では考えている事が相違する説
- A K
- 2023年9月12日
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更新日:10月13日
ブランドにとって分かり易い「アイコン」があり、知名度があることは良いことで、それに気づいてあげる場面が多ければ多いほど所有する本人の満足度を高めると思います。ですので、ブランドビジネスに関わる身として、私もなるべく気づいたら言葉に出すように心がけています。
街中でファンファンふかす車高の低いスポーツカー良く見ます。乗ってる本人は周囲の人達がカッコイイと感じ注目を集めていると思っているます。が、それを見る人は短い距離で加速するのは危ないし騒音やめてくださーい。と冷ややかに思っている事が多いと思います笑。私も日本の公道では明らかにオーバースペックで迷惑以外の何物でもないと思ってしまいます。あげると言われも要りません。
ある会社の代表で「〇十万もするタイヤなんだけど、サーキットで走るとすぐすり減ってしまうんだよね~。またダメになっちゃったよー。」と弊社の社長は自慢げにスタッフに話すんだよね。。。と友人から愚痴をこめた痛い話を聞いた事がありました。その会社はスタッフの待遇も良くはないのは知っていたので「そんな話をスタッフの前で堂々とできるなんて、、、流石ですね!!タイヤとスタッフのメンタルもすり減らすの上手なんですねー」って伝えてあげたら?と答えましたねー。
相手と自分の感情にズレがあるけど、スルーする事ってたまにあると思います。誰かの着ているブランド服に気付く場面でも、必ずしも好感を持っているわけではありませんが、気づいてもらえた本人は嬉しいものです。
それ、〇〇だよね?(有名なブランドで素敵という意味で言う)
それ、〇〇だよね?(素敵とは思わないが知ってるからとりあえず言う)
どちらも、「それ、〇〇だよね?」だけなので言われた本人は褒め言葉に感じますよね。「それ、〇〇だよね?知ってるけど、あんまり素敵とは思わないんだよね、だせぇ服着てるね」と秒で嫌われる発言は、正常な人間なら絶対言わないと思います。

「人から注目されたい人」と「自分の価値感のみを追求する人」となら、圧倒的に前者が多く感じます。自分の価値感のみを追求する人はブランドを選ぶ基準は自分自身にありますが、服飾などのブランドビジネスは前者に向けたものが広まり易い傾向にありますよね。個人的には”ロゴマーク”は好きではないのですが、違った表現でも構わないので”アイコン”はブランドビジネスにとって必須と思います。
昨今の日本の服飾の世界は”アイコン”がない状態で、認知度も低いデザイナーズブランドが多くあると感じます。国民性もありますが成熟すると主張しない事が美しいという美意識を持つ人が増えて、ファッションのリテラシーが高くなるにつれて「安易にわかりやすいモノ=下品」と捉える人もいることも事実です。
とはいえ、大多数の方は気付いて欲しいと思っており、ブランド認知の為には”アイコン”は必要なので、ロゴマークを作りワッペン、大きなプリントなどの安直な表現が好きではない私もいつもこれを考えるのに苦労します。みんなに気づいて欲しいという顧客層と控えめな主張が素敵と考える顧客層の絶妙なバランスを保ってブランドは提案しなければいけないので難しいバランスです。
【有名ブランドが高い土地にお店を構える理由】
誰もが知っている有名ブランドは一等地にお店を構えなくても、お客様は来るから都心から離れた安い土地に大きくお店を作ればいいじゃないと思ったことはあるはずです。しかしながら、あれは商品を売るための場所でもあるけど、「買えない人を増やす場でもある」という視点を論じる人がいました。
確かに有名ブランド店で購入体験を通して満足感を得たい人、購入する成金を見て羨ましいがまだ買えない人を同時に作れる効率の良い空間があれなんだよな、、、と思います。そして、認知しやすいアイコンを使うことによって、所有する者と気付く者の評価のズレはあるものの、「気づくという行為は所有者の承認欲求を満たし優越感を感じさせる又は錯覚させる」ブランドビジネスにとって重要な”承認欲求の錯覚”であり、よく出来た仕掛けだと改めて感じました。その仕組みもデザインされているんだと感心します。

【アートとデザインの違い】
私はアートはあんまり興味がないですが、デザインは興味があります。アートを否定するつもりは全くありませんが、”必要な最小限で生きる”という生き方が性に合っていると気付いた為、アートの必要性が未だ理解できていないからです。
それぞれの定義はネット検索によると以下の様です。
【アート】芸術。美術。
【デザイン】設計。図案。意匠。また、製品の機能や美的造形を考慮した意匠計画。
アートはそこまで興味がないので詳しくないですが、なんか子供の落書きみたいなモノに何億も価値があるとされているなんて、何が基準なんだ?まったく理解できないと思ってましたがアートには歴史の文脈を理解したうえで、このタイミングにこの作品を出すから社会的に新しい価値観と評価されるとの事と教えてくれる人がいて腑に落ちました。
現在はデザインという言葉の定義と実際の認識がずれている場合が多く厄介と感じます。実際の認識では何となく形が素敵とされるものが「デザイン」と捉えられていて、デザインという言葉の定義が曖昧になりがちだと思います。服飾、インテリアの業界にはたくさんの”デザイナー”という肩書きの方がいます。ですが、実際にデザインをできる方はかなり少数と思います。辛口に言うと造形を流行をなぞりトレースしただけ、なぜこういう造形にしたのか?理由のないペラペラのデザイン?と称される企画が多すぎると感じるからです。
特にアパレルやインテリアの業界は「デザイン」という言葉に広い解釈があるために定義が曖昧です。辞書の定義は「製品の機能や美的造形を考慮した意匠計画」ですが、一般的には製品の機能美か、美しい造形が片方あるだけでデザインと認識している人が多いのだと、ある時に気づきました。
私のデザインという言葉の解釈は「社会の課題」を解決した機能を保持しつつ「意匠性が高い」状態の両要素が共存するモノと考えます。
特に日本のファッションの世界ではヨーロッパのメゾンブランド、ハイブランドが提案した企画をアレンジした企画を発表することが一般的です。だから、トレースしただけでデザインとは言わないモノが氾濫している事に疑問を持たないと思ってしまいます。コンセプトが曖昧、もしくは存在しておらず、社会の課題も解決していないモノは、”ただの物質”であって「デザイン」されたモノではないと思います。その点、歴史に残るデザインされたモノは違いを感じます。

【ANT CHAIR / Fritz Hansen】
1952年にアルネ・ヤコブセンがデザインしたアントチェアは、「3本脚+人の2本脚で安定感のある機能を満たす」という独特のコンセプトをもとにデザインされているそうです。座面と背板が一体化した世界で初めての3次元成形合板で作られ、4本脚には見られない成型合板のシートと脚の美しいバランスが魅力の椅子です。デザイナーの死後、日本の家具の安全基準に合わせる為や安定感を出すために4本脚の製品も作ったと諸説あるデザインストーリーもあります。
1)座面と背板が一体化しており、背板に適度なクッション性がある。
2)テーブルに4脚配置した時には3本脚だと脚同士がぶつかり合わず、おさまりがいい。
3)スタッキングができて何脚かあっても収納場所を最小限にできる。
これはフォルムの美しさもさることながらデザインされているプロダクトだなと感じ非常に感動しました。アントチェア、そしてアルネ・ヤコブセンのセブンチェアがこんなに世に広まった理由も納得です。 私も何気なく4本脚を使っていたのですが、インテリア業界のレジェンドT会長に上記の3本脚のデザインストーリーを教えて頂いた時に何だか気持ち悪くなり、友人に4本脚のアントチェアを2脚ともあげて、新しく3本脚を買いなおしたくらいです笑。

【TURN / Ambientec アンビエンテック】
こちらは最近のお気に入りです。私的には「照明の概念を変えた」デザインされた製品と感じています。LEDでタッチ式で4段階の明るさを調節できて、充電式なので持ち運べ、水中カメラを製造していたメーカーの歴史からか防水でもあります。
ライティングはインテリア業界では昔からあるジャンルですが、コードレスで灯りがあると嬉しい環境へ調光できる光を持ち運べる点が「照明の概念を変えた」と感じました。間接照明は必ず必要なものではないとは思いますが、光は人間に大きな精神作用を起こすものでもあり、光を調節することで人間の心も調節できていると感じます。まさに直感的に理解しやすい機能を造形美と操作動作に落とし込まれており非常に素晴らしいデザインと感じました。

【消費者に届けるまでがデザイン】
インテリアもファッションも消費者に選んでもらい易く、理解しやすい表現となっていないものが多いと感じます。インテリアで言うとミッドセンチュリーに生み出された巨匠たちの家具を超えるモノはかなり少ないと思います。よく、デザイナーから物が売れないから売って欲しいと相談があります。そうですねー「売れたらデザイナーのおかげ。売れなかったら営業のせいですからねー。」と、私は笑って揶揄します。
しかし、理由は単純です。そう、必要がないから売れないのです。必要とされるデザイン=「社会の課題」を「意匠性が高い」状態で解決しているという条件が整っていないから売れないのです。
その時代にはその時代なりの課題があり、その時代に必要だったから生み出され、デザインされて世に出てきた製品であるのだと考えます。なので現代においては歴史的な家具に対向する新しいデザインを生み出すという考えは難しく、家具xテクノロジーなど新しい解決方法でアプローチする事が2000年以後のインテリア業界のあり方だと思います。
更に現状はデザインの歴史を勉強するにはまとまった資料が少なくわかりずらいと感じます。私は現在アラフォーなので、デザインに興味を持つ10歳くらいから約30年間のデザインに触れているので、40年間さかのぼれば戦後のデザインの歴史を勉強できます。しかし、今の10歳の子供たちは70年以上のこれからの歴史を学ぶ事でやっと同じ理解度になると考えると学ぶ事が多く、文脈も複雑で大変だなと思います。現在のデザインに関わる有識者達は”学んでから買え”的なマッチョな思考が強いと感じます。それをある程度学んでやっと価値をが理解できるというのではあまりにも購買のハードルが高いと感じるので売る側の説明不足、伝える努力不足が大きいと思います。
【デザイナーとセールスの関係】
私はセールスが主な生業ですが企画もする私にとって、デザインが出来上がるまでの考察やコンセプトなど思慮の深さが含まれたプロダクトとして整っているか?がセールスが成功する8割の要素だと思っています。それだけデザイナーとしてプロダクトを生み出す責任は重く、必要のないものを安易に生み出すことはミニマルが好きな私の視点では悪しき存在と言っても過言ではないです。そして、セールスはストーリーを語り、消費者に届けるまでの過程をデザインする「流通のデザイナー」でもあると思っています。一度、販売前に下記要素を満たしているか?確認してみると売れない理由が発見できると思います。
【販売開始すべき前提要素】
1.アイコニックな要素がコンセプトとリンクして存在する。
2.「社会の課題」を解決した機能がある。
3.「意匠性が高い」造形美が存在する。
これらが整ったブランドに私がセールスに関わり、想像通りの流通経路にアプローチした時は反応が良く、売れてくれ嬉しく思います。そんな気持ちの良い条件が整っている事は稀ですが、一緒に整えるアイディアを出すのも楽しいものです。
夏の終わりに課題を考えながら独立8年目突入の月に。




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