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“気づかれたい”という名の騒音

  • 2023年9月12日
  • 読了時間: 7分

更新日:2025年11月4日

スポーツカーは速いけど、承認欲求は追い越せない。

ブランドにとって、分かりやすい“アイコン”を持ち、知名度を得ていることは大きな強みです。そして、そのアイコンに人が「気づく」機会が多いほど、所有者の満足度は高まる。だからこそ、ブランドビジネスに関わる身として、私は意識的に「気づいたときには言葉にして伝える」ようにしています。


街中でエンジンをふかす、車高の低いスポーツカーを見かけることがあります。乗っている本人は「注目を浴びている」と思っているのかもしれませんが、実際のところ周囲の人は「危ないし、騒音やめてほしい」と冷ややかに見ていることが多いでしょう。日本の公道では明らかにオーバースペックで、正直なところ迷惑でしかありません。もし「あげる」と言われても、私は遠慮します(笑)。

以前、友人からこんな話を聞きました。友人の会社の社長が「〇十万もするタイヤなんだけど、サーキットで走るとすぐすり減っちゃうんだよね〜」と自慢げに話していたそうです。ただ、その会社はスタッフの待遇が良いとは言えず、私は思わず「さすがですね!タイヤとスタッフのメンタル、どちらもすり減らすのが上手なんですね〜」といじってしまいました(笑)。


「気づく」という行為の意味

人との会話で、感情の“ズレ”をスルーすることはよくあります。たとえば、誰かのブランド服に気づいて声をかける場面。必ずしも好感を持っているとは限りませんが、気づいてもらえた本人は嬉しいものです。

「それ、〇〇だよね?」という言葉にも二通りあります。

(1)素敵だと思って言う場合。

(2)特に素敵だとは思わないけれど、知っているから言う場合。

どちらにせよ、言われた本人は褒め言葉として受け取るものです。


「それ、〇〇だよね?知ってるけど、あんまり素敵とは思わないんだよね」なんて余計な一言を加える人はいません。人間関係とは、そういう微妙な“気づきの演出”の上に成り立っています。


 ロゴは語る、デザインは黙る。

「人から注目されたい人」と「自分の価値観を追求する人」。世の中には圧倒的に前者が多い。後者は自分の審美眼を基準にブランドを選びますが、ビジネスとして成り立つのは前者を対象にした商品群です。私自身はロゴマークの主張が強いものは好みませんが、それでも“アイコン”はブランドに不可欠な要素だと考えています。


近年の日本のファッション界には、明確なアイコンを持たないブランドが多い。成熟した社会では「控えめな主張こそ美しい」という美意識が強まり、「わかりやすい=下品」と捉える層も少なくありません。とはいえ、大多数の人は「気づかれたい」と思っている。ゆえに、アイコンはブランド認知に欠かせない。

“気づいてほしい層”と“控えめな美を求める層”の絶妙な均衡を保ちながらブランドを提案すること。これが何より難しい。私もロゴや大きなプリントなどの安直な表現は好みませんが、それでもアイコンをどう設定するかにはいつも頭を悩ませます。


有名ブランドが高い土地にお店を構える理由

「有名ブランドは一等地に店を構えなくても人が来るのに、なぜあえて高い土地に出店するのか?」と思う人もいるでしょう。実はそこには、「買える人」と同時に「買えない人」をも作るための戦略があります。

――つまり、羨望を生み出す場でもあるのです。

ブランド店で買い物をする体験そのものが“物語”であり、購買行為によって満足感を得る人、まだ手の届かない自分を意識する人、その双方を生み出します。さらに、ブランドのアイコンは「気づく」という行為を通して所有者の承認欲求を満たす。そこにあるのは“承認欲求の錯覚”という、精緻にデザインされた心理的仕掛けです。私はこの構造を見るたび、ブランドというものの巧妙さに感嘆します。

アートとデザインの違い

私はアートにはあまり関心がありませんが、デザインには強く惹かれます。アートを否定するつもりはありません。ただ、“必要最小限で生きる”という自分の性分には、アートの本質がまだ腑に落ちていないのです。


定義をあらためて確認すると、

【アート】芸術・美術。

【デザイン】設計・意匠。製品の機能や造形美を考慮した計画。


かつては「子供の落書きのような絵が何億もするなんて」と理解できませんでした。だが、アートは歴史や社会的文脈の上に成立しており、“その時代に新しい価値を提示する”行為であると知って納得しました。

一方で、「デザイン」という言葉は現代ではあまりに曖昧に使われています。


“なんとなく形が素敵だからデザイン”――そんな認識が広がりすぎている。アパレルやインテリア業界にも“デザイナー”を名乗る人は多いが、実際にデザインできる人はごく少数です。造形をトレースするだけで、なぜその形にしたのか説明できない“ペラペラのデザイン”が氾濫しています。

私の考えるデザインとは、「社会の課題を解決する機能」と「意匠性の高さ」が共存している状態です。多くの日本のブランドは欧州のメゾンが提示した企画をアレンジして発表していますが、それでは本質的なデザインとは言えません。コンセプトが曖昧で社会課題を解決していないものは、単なる“物質”にすぎない。対して、歴史に残るデザインは明確な目的と美意識が共に宿っています。



【ANT CHAIR / Fritz Hansen】

1952年、アルネ・ヤコブセンがデザインした「アントチェア」は、「3本脚+人の2本脚で安定する」という独自の発想から生まれました。世界初の三次元成形合板を用いた椅子であり、その構造美と合理性は他に類を見ません。デザイナーの死後、日本の安全基準に合わせるため、安定感を重視して4本脚のモデルも作られたという説もあります。


1)座面と背板が一体化しており、背板に弾力で適度なクッション性を備える。

2)テーブルに4脚配置しても脚が干渉しない。

3)スタッキングが可能で、収納効率が高い。

私はこの椅子の合理性と美しさに深く感動しました。アントチェア、そしてセブンチェアが広く愛される理由も納得です。私自身、以前は4本脚を使っていましたが、このストーリーを知ってから「違う」と感じ、3本脚に買い替えたほどです。

【TURN / Ambientec アンビエンテック

もうひとつ、最近感銘を受けた製品があります。Ambientecのポータブル照明「TURN」です。LEDによる4段階調光、充電式、防水設計。光を“持ち運ぶ”という発想は、まさに照明の概念を変えた。光は人の心に作用します。手の届く場所に灯りを置くことで、空間だけでなく精神の調律までも可能にする。機能と造形が直感的に結びついた、極めて完成度の高いデザインだと感じます。

「届ける」までがデザイン

デザインとは、形を作ることだけではありません。消費者に“届く”までを含めて初めてデザインは完結します。ミッドセンチュリーの巨匠たちの家具を超える製品が少ないのは、彼らが「時代の課題を解決するデザイン」を生み出していたからです。現代でそれに匹敵する新しい価値を作るには、テクノロジーとの融合など別のアプローチが必要でしょう。

デザイナーから「物が売れないから売ってほしい」と相談を受けることがあります。私は冗談めかして「売れたらデザイナーのおかげ。売れなかったら営業のせいですからね〜」と返しますが、理由は単純です。必要がないから売れないのです。

必要とされるデザインとは、「社会の課題」を「意匠性の高い形」で解決している状態。そこに至らない限り、モノは動かない。


更に「学んでから買え」という風潮も感じるが問題だ。現状はデザインの歴史を勉強するにはまとまった資料が少なくわかりずらいと感じます。私は現在アラフォーなので、デザインに興味を持つ10歳くらいから約30年間のデザインに触れているので、40年間さかのぼれば戦後のデザインの歴史を勉強できます。現在のデザインに関わる有識者達は”学んでから買え”的なマッチョな思考が強いと感じます。それをある程度学んでやっと価値をが理解できるというのではあまりにも購買のハードルが高いと感じるので売る側の説明不足、伝える努力不足が大きいと思います。


デザイナーとセールスの関係

私はセールスを主軸としながら企画にも携わっているが、販売の成否の八割は“デザインの思想”にかかっていると考えます。デザイナーは社会に”不要なものを生み出してはならない。”それだけデザイナーとしてプロダクトを生み出す責任は重く、必要のないものを安易に生み出すことは悪しき存在と言っても過言ではないと思います。


そしてセールスは、製品の背景を語り、消費者へ橋をかける「流通のデザイナー」です。

販売前には、次の三要素を確認したい。

1.アイコニックな要素が、コンセプトと連動しているか。

2.社会的課題を解決する機能があるか。

3.意匠としての美しさが存在するか。


この三点が揃ったブランドは、自然と市場で反応が良いです。整った条件に出会えることは稀だが、それを共に磨き上げる過程こそが、仕事の醍醐味でもあります。

――夏の終わり、独立八年目を迎える月に。新たな課題を携えて。


 
 
 

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