我が人生は根性論?
- 2021年6月30日
- 読了時間: 6分
更新日:2025年11月3日
序章 ― 折り返し地点にて
人生の折り返しを過ぎた今、私はこれまでの半生を静かに振り返ってみたいと思う。
生きていると一度は出会う、“体育会系おじさん”という生き物がいる。「俺は体育会系だからさ」と言いながら、上下関係を当然のように押し付けてくる人たちだ。二十代の私は、心の中でいつもこうつぶやいていた。
「そんな体育競技でつちかったくらいの事をドヤ顔で話されても、少し長く生きただけの歳の差で上下関係を強要されても。俺は自衛隊出身だから自衛隊系しか知らないし、こっちは殺すか殺されるかの訓練をやってきたわけでいちいちうるせーな」若さゆえの尖りもあったが、当時の私にはそれだけの現場の実感があった。

第一章 ― 誕生の記憶
私は、生まれつき筋力が極端に弱かったらしい。赤ん坊の頃、ハイハイしても首を持ち上げることができず、母は泣きながら遠くの施設までリハビリに通ってくれたという。
やっと首が据わったと思ったら、今度は右目の弱視。「このままだと失明します」と医者に言われた。自分では、誰もがこんな視界なのだと思っていたから気づかなかった。
大学病院では、変形したラグビーボールのような眼球を見ようと医学生が群がった。私はまるで実験生物のようだった。人生のスタートから、すでに波乱含みである。
第二章 ―少年期の苦悩と発見
私は基本的な身体能力が低かった。どれだけ真剣にやっても、周囲より遅れをとる。音楽の授業ではいつも最後まで残され、「なぜできないの」と叱られるたびに、自己否定の言葉が心をかすめた。手は抜いてないつもりなのに周りの友達よりなんでかできない事が多かった気がする。
そんな私ですが、長距離走だけは代表選手で大会に出たりもしていました。それは何故かというと、息が苦しくてスピードを緩める人が多い中、私は苦しいけどスピードはそのまま。身体が狂ってただけでなく、生命を維持する為に緩める感覚も狂ってたんでしょうね。。。トップクラスに走りが早いわけではなかったですが、しつこかった笑。ゴール時には大丈夫か?ってくらいの異常に果てた体勢で倒れこんでいた記憶があります。自分の限界がわからないだけだったと思います。
それでも、ひとつだけ得意なことがあった。――長距離走だ。
それは何故かというと、息が苦しくてスピードを緩める人が多い中、苦しくてもスピードを落とさなかった。普通なら身体が限界を感じるところで、私はまだ走れた。トップクラスに走りが早いわけではなかったですが、しつこかった笑。ゴール時には大丈夫か?ってくらいの異常に果てた体勢で倒れこんでいた記憶がある。自分の限界がわからないだけだったと思う。

第三章 ― 教育という名の理不尽
そして、高校を卒業してたまたまタイミングがあったので、自衛隊へ入隊。自衛隊の教育は、理不尽そのものだった。「コラァァァァッ、匍匐前進で何で水たまり避けとんじゃワレ!水たまりは何で水たまりになっているかわからんのかぁキサマはぁぁ?地面より低いからじゃボケェ‼ 弾、避けるためには低い方がええやろ?泥水だろうが顔つけんかいカスがぁ。死にたいんかぁキサマは‼ 」怒号が飛び、私は顔を泥水に突っ込まされ、その上から革靴で踏まれた。――おっしゃる通りです、教官。ただ、“顔踏みオプション”は戦場に必要ですか?――もちろん、そんなことは口が裂けても言えなかった。
ヌクヌクと高校生やってきた私に入隊1ヶ月後のそんな教育の連続は刺激が強すぎる世界だった。体育会系?それ撫でられてんすか?って思うくらい、自衛隊系はパワハラ?コンプライアンス違反?ないないないない、そんな基準なんて最初から1mmもない。新兵たちはまず「人権」を獲得するところから始める。だが、あの理不尽の中に一片の“正義”もなかったわけではない。戦場にルールなど存在しない。死んだら終わり、それだけだ。そう思えば、生きているだけで何だってマシだ。
世代でわかる人はいると思いますが、「魁!!男塾」という漫画を少しマイルドにした世界でした。小銃を抱え山の中を重装備で何時間も歩く訓練があり、まだ若く体力あった方の私は限られた水筒の水をなるべく温存して歩いてた。あと、少しいったら飲もう!と思った時に「貴様らは今、敵に襲われた。と、いう想定だ。今すぐ水筒の水を全て捨てろ!はよせんかい、戦場はいつでも水を飲めるとは限らんのじゃボケェ」って言われ、水を捨てながら放心した事もありました。既に喉カラカラ、フラッフラな状態で温存してきた水を自分で捨てるのです笑。訓練の最後には救急車の音が聞こえてたな。。。はい、何人か倒れて居なくなってました。。。今では考えられない。ウソだろ?って事がいくつもありましたが書ききれませんね。
"理不尽"と書いて"正義"と呼ぶような教官しかいなかった気がします。。。戦場で整った状態である方が珍しい、いかなる場合もベストを尽くせ!との意味合いがあったと思う。叩き込まれた粘り強さと鋼のメンタルは後の人生にすごく役に立つ一番のスキルになっている。結果的に、あの時間が私のメンタルを鍛え上げてくれた。
――メンタル強化には自衛隊、おすすめです(笑)。

第四章 ― 青年期の狂熱
東京に出てアパレル業界へ。朝十時から夜十時まで働き、深夜は社長との会食。日給5,000円。今なら最低賃金以下だ。「お前、今日は5,000円分の利益出したか?」毎日その言葉に晒され、ノイローゼ寸前だった。
そんな20代、私は“才能”という言葉を嫌っていた。
「才能がない」だと?親の顔を見ろ。あふれる才能を受け継いだ覚えがあるか?
才能なんて最初からねぇんだ。足りないのは努力だ。自分の親のつらを見てみろよ、"才能" あふれる遺伝子か?自分にもいつか" 才能" が開花するとでも思って生きてきたの?才能?そんなもん最初からねーよ、お前には。親のせいにして" 才能" のなさを今更ながら自覚してんじゃねぇ。
そんな考えの甘い現状の自分の”心”がカスである事を自覚しろ。しかも、" 才能" が必要なレベルの仕事させてもらっていると思っているの?うぬぼれてんな、ボクシング世界戦で1位がチャンピオンに勝てないと嘆くのは才能のせいかもしれない。" 才能" が必要なのはそのレベル。" 才能" が必要と思っているのなら、今の仕事を早く辞めた方がいいよ。お前は" 才能" なんて最初からないから。お前に足りないのは" 才能" じゃなく努力だから!!
はい、友人に本当に放った言葉です。若い頃は尖ったナイフの様でした笑。余裕なさ過ぎて自分の折れない心を保つ為に言葉の刃を他人に向けていた気がします。ごめんなさい、反省してます。。。
第五章 ―中年期の静かな悟り
やがて気づいた。人は、自分の能力の三割も出さずに生きている。
ならば、私の能力が他人の半分でも、全力で出せば勝てる瞬間はある。
だから、私はいつだって全力で取り組む姿勢でした。無理するからたまに乱れるけど、限界まで引き出しているから致し方ないと思うようになりました。「嫌なら去れ。それでも私はこの生き方を変えない。」とすら思っていた笑。弱みを改善するより、強みを伸ばす、好きな事しかしないエナジーを活力にするストロングスタイルで生きている。
終章 ― 寄り道の哲学
人生に“根性で何とかなる”ことは少ない。だが、“しつこさ”で切り開ける道は多い。
スマホがなかった時代、知りたい言葉に出会うまでの“寄り道”が学びだった。今の人生も同じだ。
ふと、思い出した。今でこそ知りたい言葉はスマホですぐに見つかりますが、それにたどり着くまでにたまたま見たページの言葉を寄り道で見て勉強になっていたことを。人生もなかなか知りたい事にたどり着けず、迷って開いたらページの寄り道があるとは思いますが、今はそれも重要な気がする。
人生は、寄り道だらけでいい。その方が、ずっと楽しい。 ((((((~ ´ ∀ `)~
母の誕生日に感謝を込めて。




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